現実をシンプルに見る

人は立場により、出来ることと出来ないことがあります。

また、知識の有る無いにより、出来ることと出来ないことがあります。

そして、能力が有る無いにより、出来ることと出来ないことがあります。

 

出来ることと出来ないことの分別というか、見極めというのが必要です。

今、出来なくてもいつかの未来には出来るようになることはあるでしょう。

でも、今の段階で、まず見てみる必要があるのです。

ポジティブシンキングしてれば、出来るようになるわけではないのです。

 

確かに、練習をすれば出来ることもたくさんあります。

練習が足りないから出来ないこともあるでしょう。

練習が出来る出来ないも能力のうちです。

練習をやり続けることが出来るのなら、やり続けたほうが良いです。

練習をやり続けることが出来ないと思ったら、止めることです。

 

精神論だけでは解決できないことがあるのが現実なのですから。

 

 

 

私のトリセツ

お題「私のトリセツ」

 

ボクはずっと自分のトリセツが欲しいと思っていた。

どこにも売っていないのはわかっていたし、そんなものが存在しないことも知っている。

 

ボクが自分のトリセツを欲しいと思った時は、自分を持て余している時と思考停止してしまった時だ。

 

自分を持て余した時というのは、自分の感情が制御不能の状態に陥り、暴走を始めた時だ。

この時は、他人や自分に対して攻撃的になっている。

そして、自分の感情なのか、他人の感情なのかがわからなくなっている。

 

ボクが思考停止をしてしまう時は、色んなケースがあるのだけど、極度の緊張で思考停止してしまう時ならまだ良いのだけど、ここはしっかり考えなきゃならないぞという時にフリーズして危機に陥ったことが何度もある。

こんな時は、自分のリセットボタンが欲しいと思うし、再起動したらフリーズが修正されるのにと思う。

 

 

ボクのトリセツはボクが欲しいんだけど、ボクのトリセツを持っているのではと思う人が過去にいた。

その人にはうまい具合に使われてしまうのだ(汗)

それも否応なしに!!

おそらくその人はボクのトリセツを熟知していたのだろう。

 

世の中には、他人のトリセツを持っているかのごとくコントロールが上手い人がいる。

そんな人には気をつけよう!ガクガク*1ηナンダカコワイワァ

 

 

*1:(n;‘Д‘

女心も男心も秋深し

先日、小学生の甥っ子が、「女心は難しいね~」と言ってましたwww

甥っ子よ、そうなのだよ!

「女心は男にはわからないものなのだよ!」そして、「女にも男心はわからないものなんだよ!」と語りました。

 

男と女の心の違いは男と女の脳の違いにあると言われています。

 

そもそも、体の構造が違うのですから、男と女では違って当たり前なのです。

それなのに、同じ人間という括りで考えてしまうから、トラブルのもとなんですね (・_・;)

 

男と女が真に理解し合うことは、はっきり言って無理なのかもしれません。

でも、異性の心や考え方を学ぶことは出来るのです。

 

自分がこう思っているから、相手もこう思っているだろうと人間思いがちですが、全く同じに思っていることはないんですね。

男と女だったらなおさら思っていることが違います。

 

異性の言葉に耳を傾けることが、異性の心や考え方を理解することに繋がるのですが・・・簡単そうですが、難しいもんです ^^;

 

 

思うことの自由

ここまで、好き勝手に書いてきましたが、未だに方向性は定まらずです(汗)

ということで、さらに好き勝手に書いていこうと思いまする^^;

 

子供の頃、作文や読書感想文を書くことがとても苦手でした。

とにかく書くことに苦手意識を持っていたんですね。

 

苦手というのは、今思うと、何をどう書いたら良いのかがわからなかっただけなんですよ。

 

思ったことをそのまま書けば良いはずなのに、自分の思っていることに自信が持てなくて書けないでいたのでした。

 

何をどう思っても良いはずなのに、自分の中で、思って良いことと思ってはいけないことを選別し、本当はそれほど思ってもいないことを無難に考えて文章にしていたものでした(・_・;)

 

たしかに、言論の自由ということはあったとしても、モラルや倫理に反するような発言はしない方がよいかと思います。

でも、それほどだいそれたことでもなければ、ましてや子どもの作文レベルのことであれば、自由に書くことを推奨して良いと思います。

たぶん、自由な発想を持った子どもたちの発言は、我々大人の心をえぐることでしょう。

 

おっと、自分のことから、社会提起になってしまいました(汗)

子供の頃、何故か親や学校の先生に書いたものを評されるのがすごく嫌で、ボクは自分を偽っていたような気がします。

 

今でも、発言したり書いたりする時に、「うっ!」とブレーキをかける自分が出てくることがあります。

そんな時は、これって子どもの頃にかけられた呪いだと思うようにしていますwww

子どもの頃にかけられた呪いだと思うと、「大人になった自分にはもう通用しないもんね」って切り換えるとブレーキが外れるんですね。

 

それでも、たまに「うっ!」とブレーキがかかってしまうこともあるもんでwww

 

 

誰にも信じてもらえない体験

お題「誰にも信じてもらえない体験」

 

誰にも信じてもらえない体験ということで、たくさんあるので、箇条書きにしてみます。

・UFOとの遭遇(数え切れないくらい)

・幽霊を見た(数回)

・霊と話をした(かなり深い話)

・妖怪(いったんもめん)を見た

・緑の妖精を見た

・空飛ぶ魚を見た

臨死体験

・飼っていた金魚が消えた

などなど・・・かなりいっちゃってる奴だと思うでしょ?(笑)

でも、全部本当の話!

信じる信じないは、アナタ次第!

 

いつか、詳細をお話します(^^)

 

人とのかかわり

人とのかかわりについて・・・

 

人と深いかかわり

人と浅いかかわり

 

人と強いかかわり

人と弱いかかわり

 

人と長いかかわり

人と短いかかわり

 

人とどんなかかわりだとしても かかわりがなくなるのは寂しいな

魂の記憶を浄化せよ

魂の記憶をたどると、今の自分とは全く別の自分がいることに気づく。

今の自分には、とても考えられないことをやってのけていた。

良いことも悪いことも。

 

ところが、良いことよりも悪いことの記憶の方が自分に重たくのしかかり、人生をネガティブな方向に引っ張ってしまう。

 

悪いことの記憶に関連せし魂たちの情報も背負った状態になってしまう。

こんな状態では決して幸せになどなれるわけがない。

 

そこで、過去の自分の魂の記憶とそこに関連せし魂たちの浄化が必要不可欠になってくる。

 

この人生にとって、最も大事なことは、使命だとか役目だとかいうよりも過去の情報・記憶の浄化(クリーニング・消去)なのだろう。